なんとか的なんとか性

ブログやるやる詐欺から9年目

熊谷の魅力

 

 相変わらず熊谷で暮らしている。この街はとなりの館林と日本一を競うほどの暑さだ。関東平野のまん真ん中にあって夏は毎日暑いし、冬は赤城山や秩父山地からの冷たくて強い風が吹き付ける。

 そんな熊谷に年間60日以上滞在していると、東京ではなかった食文化のカルチャーショックを受ける。

 

 まず、東京はそば屋が多いが、荒川と利根川に挟まれた水はけの良い土と、内陸の寒暖差が激しい気候は小麦の生産に適しているそうで、北埼玉一帯はうどん文化だ。

 このほかにも吉原殿中に似た五家宝という米菓子。東京では見ない焼きそば専門店。フライと呼ばれるキャベツ抜きのお好み焼きのような小麦料理。さらに銭型のフライが転じてゼリーフライという名前の小麦とおからを混ぜて揚げた料理もある。

 ラーメン屋でも麺のおいしさを全面的に出した「ゴールデンタイガー」という店があり、うどんのような麺をスープなしで提供する。うどん文化の熊谷だからこそ、店を出したかったと店主は語る。

 鰻や食用鯉、ナマズなどの川魚の店も多い。でもなぜか海の魚の刺身もおいしいと思ったら、店内に「当店は毎朝豊洲市場から仕入れております。」との張り紙。

 

 食べ物の話ばかりだが、仕事で来ているので平日の日中に出歩くことができない。渋沢栄一の生家もあり、記念館になっているためいつか行ってみたい。

 おとなり行田の足袋や人形など伝統的な工芸も数多く残っている。足袋は伝統芸能の人が履くイメージだが、マルジェラみたいな足袋型のスニーカーやサンダルなんかも売られており、最近ベアフットシューズにハマっているのでぜひとも履いてみたい。

 人形が有田焼や博多人形のように陶磁器製ではないのは、やはり関東の土は繊細な焼物には向かないからなのだろうか。調べてみると、水はけの良い土は水を含みにくいため強度を保ちにくく、鉄分が多いため焼いた際に変色しやすいのだそうだ。関東の焼物といえば笠間焼や益子焼だが、たしかにどちらかというと分厚くて野暮ったい印象だ。だからこそ木で人形を作るのがスタンダードなのかもしれない。

 土地に根付いている文化や産業には必然性がある。長期滞在をつうじてその土地の文化や歴史を知りながら、なぜそうなっているのかを見つけたいものだ。

 

印象派の女将

 4月に長野の高遠城址公園へ桜を見に行った。高遠城址公園といえば、2013年のセンター現代文でおなじみ、小林秀雄の『鍔』(つば)に登場する桜で有名な公園だ。

 諏訪大社を巡り、車で杖突峠を超えて高遠で一泊することにした。鍔に出てくる諏訪大社のサギを探したが、あいにくの雨のせいか見つけることはできなかった。

 

 旅館をチェックアウトするとき、女将が「この坂を登った先からこんな景色が見えるだで、行ってみると良い。桜がきれいに見える」と言う。

 こういうとき普通は満開の桜の写真を見せてくれるのだろうが、女将が指さしたのは、丘の上から見える風景を描いた素朴な油絵だった。それは今から行く場所の想像をかき立てる粋な計らいのように思えた。

 桜の綺麗な期間はかなり限られている。満開を少し過ぎた、散り始めるくらいがとても綺麗だ。社会人になってそんなタイミングで桜を見ることはますますできなくなった。

 女将が絵にしたいと思った気持ちはよくわかる。美しさをピン留めしたいと思いながらも写真にするとどうも違ってしまうのだ。ピン留めするためには「自分が見た」桜を描くなり書くなりしなくてはならない。

東京の人の語る東京

 渋谷の西武百貨店と東急ハンズの閉店が決まり、某有名ビルも建て替えが決まっている。若者はネット通販に流れ、渋谷のランドマークで買い物をする必要がなくなった。それがコロナ禍でますます加速し、息も絶え絶え営業していたが遂に閉店といったところなのだろうか。

「もう、そういう時代じゃないんだよな」

遠くを見つめながら上司がそんな話をする。彼らの青春時代の遺産が今の若者には受け入れられなくなっていき、ひとつの時代が終わってゆくのを噛みしめているかのようだ。

 

 彼は東京生まれ東京育ち、アルバイトも渋谷だった。そして環八が砂利道の頃から働きバブルも震災も東京で過ごしてきた。時代とともに東京を歩んできた生粋のシティボーイも、今では孫を連れて新幹線を見にいくおじいちゃんだ。

 

 東京の風景は日々大きく変わっていく。変わっていく風景について私には何の感慨もないが、彼のたったひとことの中に、東京という街の儚さと時間の重みを感じずにはいられなかった。

未練たらたら

 美術館に行くことがめっきり減った。もともと美術が好きなわけでもないので当然のことなのだが、先日学会を手伝って、久しぶりに美術館に行きたいという気持ちが湧いてきた自分に驚いた。

 そして手伝っていて気づいたのだが、研究が好きではないが大学院に進学したという人が学生や先輩含めかなりの数いるということだ。そして名簿をみればオンラインを含め、見に来てない人がわかってしまったのだ。専門職大学院ではないが、修士取得がほぼ100%就職の暗黙のルールになっているのだからそれもありなのだろう。

 「この大学の良いところはいい意味で粘着質だということだ」。数年前に主査の恩師が退職の際のスピーチでそう言っていた。業界を去った私のような人にも声をかけてくれるのだから、たしかにそのとおりだ。そして博士に戻ってきなよーなどと誘惑してくる先輩もいたりする。恩師に合わせる顔がないと逃げ回っていたが、運悪く出くわして30分ほど昨今の動向について話もさせてもらった。

 先輩が助教をやっている間は大学の手伝いもしようと考えていたが、別の先輩がそのポストに就いたので、またしばらくは手伝うこともあるだろう。そして同級生がおそらくその後に就くからまた手伝って…と考えるとまだしばらく縁は切れそうもない。

 この業界を去った理由は10個くらいあって、きちんと紙に書き残してある。研究自体はすきだが、私の研究の延長上に所属していた学会での実績というのは期待できないというのも理由のひとつだ。

 業界に戻る方法はいくつかある。ひとつは所属していた学会で評価される研究に軌道修正すること。これは仕事と割り切ればできないことではなさそうだ。もうひとつはアカデミアの海に出て、他の学会を駆けずり回り、自分の研究を評価してくれるような会に所属する先生のいる大学で博論を提出すること。先日退職した助教の先輩はその方法だった。博士からでも無理な話ではない。

 

 だが、それ以前にカネを稼ぐことが面白いから今の仕事をしているというのが博士に進学しない1番大きな理由。そして研究の方が企業で働くことの何倍も大変だということをよく知っているということもある。仕事はとりあえず今やるべきことをやっていれば最低条件を満たすが、研究は仕事プラスα実績になるようなことをしなくてはならないし、そのために働いてなくても、四六時中研究の事を考える生活が待っている。寝ても覚めても一つの対象が頭をよぎる。例の主査の教授は夢に研究対象の人物が出てきて話をしたなどということも語っていたが決して冗談などではない。

 だからしばらくはこの生活に安住するつもりだ。仕事は好きだが会社を退勤すれば仕事のことをとりあえず考えなくて済むし、自分の生活に戻ることができる。だがいつかそれにも飽きるだろうということも予想がついている。遅すぎなければそのときは…ということを考えなくもない。

 なぜこんな未練たらしいことを書くかというと、同じ研究室の同級生が博論を出すタイミングになったからだ。あり得たかもしれない現実を見て揺れ動く気持ちがあったことを認めよう。

小骨のある鮭おにぎり

 先日久しぶりに母親から小包が届き、LINEが入っていた。「おにぎりを入れておいたから早めに食べてね」とのことだ。

 母親のつくる鮭おにぎりにはいつも骨が入っていた。炊いた米に焼いた鮭を丸ごと入れているからだ。

 そしてわたしは中学の頃から、母親の焼き鮭がとても嫌いだった。塩辛く(焼きすぎて塩分濃縮)小骨ばかりで、頼むから鮭弁当にしてくれ、そして焼き鮭の火加減をもっと弱くしてくれと言いたかったが、忙しい合間を縫って弁当を作ってくれたことを思うと言い出せなかった。

 そんな過ぎ去った日々のことを思い出しながら、コンビニの形の整った骨のないおにぎりとは違う、ラップに包まれた小骨ばかりのしょっぱくて不格好な鮭おにぎりをひとりでかじった。

 母は今年7月で61になる。

 


 と、田舎の母親が都会に住む息子を案じて小包を贈るというベタな美談風に書いたが、他にも大量の枝付きの枝豆、大量のさや入のグリーンピース、大量の日持ちしないいちご、スイカ丸ごと1個、絶対に私の趣味ではないTシャツ、謎の菓子など、一人暮らしで忙しい時期などには発狂しそうになる。畑の在庫処分先にするのを本当にやめてほしい。

美術史研究と構造主義

 堅苦しいタイトルだがお付き合いいただきたい。

 私は大学で美術史専攻していたが、どうしてもこの領域になじめなかった大きな原因が構造主義的な研究手法にある。

 そもそも構造主義というのはソシュール云々…というのはもう置いとくとして、めちゃくちゃ平たくいうと、あらゆる事象を関係性(構造)の中で語ろうとする態度だと言って良いだろう。

???つまりどういうことか。あるAという出来事や作品や思想があったとして、そのAはすでにあるBに影響を受けてできあがったとするわけだ。そしてその関係を全く知らないでCというものが出来上がることもある。意図的であれ、無意識であれ、それらを影響関係と呼び、ある文化圏で網羅的にこれらをひも解こうとする流れがある。ハイパーテクストとか間画像性の研究といって盛んに用いられる研究手法の一つだ。

 

 例えば朝、コーヒーを淹れてパンを食べる習慣がある人がいたとする。これを仮に〈おしゃれな朝食〉と名付ける。それはもしかすると、西洋的な豊かでおしゃれな生活という記号を消費しているだけなのかもしれない。

 一方で、土鍋で米を炊き銀鮭と味噌汁をこしらえる〈ていねいな朝食〉はそのような〈おしゃれな朝食〉の反動として、日本的で手の混んだものに価値を置こうとするムーブメントといえるかもしれない。

 また、ある人はコンビニ買ったプロテインバーをオフィスで食べるような〈雑な朝食〉をする。このような生活は〈ていねいな朝食〉に疲れた現代人に広く受け入れられている。そしてこれらはすべて西洋的豊かさのイメージに端を発してその「影響」を受けているといえよう。

 

 と、こんな具合だ。これらは全くもって私の偏見でしかないのだが、美術史の具体例を出してもおそらくピンとこないだろうからこんな例を出してみたが、構造主義の語りの中では〈おしゃれな朝食〉も〈ていねいな朝食〉も〈雑な朝食〉もすべて西洋的な豊かさのイメージへの憧れや反動なと切っても切り離せない、お互い関係性の中にあるというようなことを論じる。そして、主体的でオリジナリティのある個体というものは存在しないかのように語られがちである。

 

 問題は語り口調として、あらゆる事象が歴史的文化的なイメージを通して作り上げられた影響関係のひとつだと結論付けることだ。

 自然発生したオリジナリティはどのように扱うのか。すべてが関係性の網の目に絡め取られてしまう。これにあまり馴染めなかった。

 

 話は変わるが、学生時代にある学会発表でびっくりしたことがある。仏像研究の発表で、この仏像は〇〇時代の様式の影響が見られるという論旨で、目が2つあり、鼻と口があるというようなことを論じている発表だった。

 もちろん専門家の中である程度理解されるる"似てる雰囲気"(様式論)というのはあるのだが、あまりにも雑な語り口調にへきえきしてしまった。

 仏像が人間をモチーフにしている時点で目も鼻も口も同様にあるのだから当たり前だ。これは極端な例だが、笑い話でもなんでもなく、影響関係を論じようとすると煮詰まってこのような袋小路におちいることがある。

 

 そして、何かに影響を受けたとしても100%ある様式を再現できるかといえばそうではない。むしろそのマネをしようとしたけどどうしてもにじみ出てしまう制作者のクセみたいなものの中にその人のオリジナリティがあるだろう。また、偶然ある様式が誕生したのかもしれない。

 

 しかしこれを論じること難しい。偶然性は実証的ではないので学問として扱いづらいし、オリジナリティもまた無意識に何かに影響を受けている可能性があると言えるからだ。

 先輩に誘われてある学会の手伝いに行ってきた。なぜ自分がこの世界を去ったのか改めて考えてさせられるとともに、無意識に構造主義をインストールしている私の身近な人たちが浮かんできた。

 主体性も自由意志も信念もなく、関係性の中で現象として現れる自己を打ち倒したいものだ。そう考える自分もまた構造の一部なのだ。

 

手つないだみたいなビルの見える公園 思い出の使い道

 何年かに一度だが、ある人との恒例行事として、手をつないだようなビルの見える公園に行くというのがある。

 10数年前の5月にこの公園に来て、ラジオを聞きながらホットスナックを食べたことをよく覚えている。滝川クリステルからロバート・ハリスの番組にかけてだから時間的には18時前後だ。それ以外の何をしに来て他にどこに行ったのか全く記憶がない。そもそもなぜこんなに些細な出来事をお互い強く覚えているのかもわからない。

 以来、5月に東京で会う場所として毎度この場所が選ばれるようになった。きっと楽しい1日だったのだろうということと、再現可能だということが恒例行事になった理由のように思う。

 

 思い出はそれ自体に価値があることは分かるが、日々積み上がる思い出たちは、どのように活用すれば、その価値を引き出すことができるのだろうかとよく考える。べつに思い出などなくても仕事をしたり資格の勉強をしたりしたほうが有用な気がするし、旅行や食事は新しい世界の見え方を獲得できる点で思い出であると同時に実用的だ。

 

 この公園の風景を見たことで、また数年が経ったことを実感し、最初に来たときからの時間の経過を感じる。何の実用性もなさそうなこのイベントは、年を経るごとに重要度が増していて、自分にとってお盆の墓参りや初詣よりも大きな意味を持っている。

 私は新しいことをして前に進むのが億劫に感じる人間なのだが、過去(後ろ)を見ながら後ろ向きに歩けば結果的に前に進んでいることになりそうだ。もし実用性を求めるとすれば、それが思い出の使い道なのかもしれない。

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手をつないだようなビル